vol.102 ドメーヌ・フジタ
織田 徹さん

創業者の意志を継ぎ、糠地で目指す
ブルゴーニュのワインづくり

vol.102 ドメーヌ・フジタ<br>織田 徹さん<br><br>創業者の意志を継ぎ、糠地で目指す<br>ブルゴーニュのワインづくり

山を見渡し、風が吹き抜ける標高850m超の畑

小諸市の糠地(ぬかじ)地区は、小諸市の西端に位置し、かつては養蚕の盛んな地域でした。蚕業の衰退後は、大きな養蚕農家の建物を改装して民宿を営む家が多く、都市部からの合宿を受け入れる「学生村」としてにぎわいました。

桑畑の多くは遊休荒廃地として残されていましたが、近年ではこれを開拓してワイン用ブドウを栽培する人が増え、2020年には地区内に最初のワイナリーができました。それに続き、2021年10月に完成したのが「ドメーヌ・フジタ」です。
 

第1圃場には藤田さんが2015年にピノ・ノワールを定植。八ヶ岳から北アルプスまで望み、1月下旬の取材日には澄み切った冬空の下、富士山も見えた
 

創業したのは藤田正人さん。神奈川県の高校で社会科教師として30年以上勤めた藤田さんは、世界中を旅するなかでワインと出会い、なかでもフランス・ブルゴーニュのワインと、そこでの暮らしや文化に魅せられました。

第二の人生をワインづくりに定め、日本各地で畑を探しまわり、出会ったのが小諸市・糠地でした。標高850m超、冷涼で風の吹き抜ける傾斜地は、自身の目指すワインとなるピノ・ノワールの生育に適うはず。はるか八ヶ岳連峰や北アルプス、ときに富士山まで望む景観も気に入りました。
 

事業継承してドメーヌ・フジタのオーナーとなった織田徹さん
 

今、この畑に立つのは、藤田さんから畑とワイナリーを引き継いだ織田徹さんです。「藤田さんは山登りが趣味でしたから、自分の登ったことのある山々が見渡せる景色に魅せられたのかもしれません」

藤田さんから引き継いだ4つの畑に、織田さんが入手した畑を加え、現在は第6圃場まであります。「第1圃場には2015年、藤田さんがピノ・ノワールを植えました」。取材したのは1月下旬。例年、年末には終えている施肥が間に合わず、年始から作業しているとのこと。
 

第5圃場は2024年にピノ・ノワールを定植。若木を寒さから守るため、1本ずつわらを巻いた
  

「まくのは牛糞、化学肥料は使いません。1本ずつの状態を見ながら量を調節してまくので、時間がかかります」。第1から第6まで合わせて1.6ヘクタールもの畑をひとりで作業していくので、農閑期という言葉とはほど遠く「いくら時間があっても足りない」と織田さんは言います。


ワイナリー研修生から突如ワイナリー経営者に

ワイナリーは2021年10月に藤田さんがオープンし、初醸造を行いました。そして、その2021ヴィンテージが藤田さんの手がけた唯一のワインとなりました。

織田さんはというと、2021年に千曲川ワインアカデミー7期生として学び、地元である名古屋市でのワインづくりを目指していました。経営コンサルタントを営むかたわら、義弟が所有する農地を含めた0.4ヘクタールの畑を借り受けてブドウ栽培をはじめていたのです。

織田さんは大学では法学を納め、大手自動車メーカーに就職し、いくつかの転職と起業を経験したのちに、経営コンサルタントになっていました。「かといって、それがやりたかったわけではなく、得意を生かした結果です」と織田さんは言います。

本当にやりたいことを探し続け、たどり着いたのがワインづくりでした。「お酒全般が好きで、ワインは one of them でしたが、ものづくりとしてブドウ栽培という農業がベースにあることに魅力を感じました」
 

もっとも標高の高い第4圃場には2018年にソーヴィニヨン・ブランを定植。「森に近いので虫害が多い。獣害もありますが、動物は木を枯らしはしないから、虫の方がタチが悪い」と織田さん
 

ワインづくりの勉強をするためニュージーランドへの留学を計画したものの、コロナ禍によって断念。国内での勉強先を探し、見つけたのが千曲川ワインアカデミーでした。

「1年間、名古屋から通いながら、栽培から醸造まで、ひととおりを体系的に教えてもらいました」。さらに実務経験のできる研修先を探していたところ、研修生を募集していたのがドメーヌ・フジタでした。

「すぐに連絡を取り、12月にはじめて藤田さんとお会いして、一緒にやりましょうと言っていただきました」。初醸造はひと段落していたので次年の醸造を楽しみにしつつ、春先になってビン詰めを一緒に行うことができました。

ところが2022年4月になって、藤田さんが体調を崩して入院することになり、織田さんに連絡が入ります。

「畑を見てくれないかと言われて、なんとかしますと引き受けました。『秋には退院できると思うから、それまでちょっと頼むよ』と。僕は向こう見ずというか、楽観的なので、週の半分くらい名古屋から通えば、なんとかなるかなと思っていました」

しかし、その2か月後に藤田さんは亡くなります。
 

織田さんの家には、藤田さんにとって最初で最後となった醸造後の写真(左端)が飾られていた
 

「亡くなる2週間くらい前に藤田さんから電話がありました。『戻る気持ちに変わりはないけど、復帰しても以前と同じようにできる自信がない。ワイナリーの経営ごと引き受けてくれないか。畑のことを一番わかっているのは織田くんだから』と」

織田さんは悩み、妻に相談し、決意をかためていきました。

「妻は、愛知より長野の方がワインづくりに向いていると考えていたようで、反対はしませんでした。あとは僕の覚悟の問題でした」

畑に通って2か月が過ぎ、作業が追いつかずに畑が荒れていく様を目のあたりにしていた織田さんは、名古屋の仕事と畑の清算を進め、長野へ移り住みました。


ワイナリーを引き継いでわかったこと

「2022年は大変な年でした」と織田さんは振り返ります。「畑の面倒を見るのに精一杯で、自社醸造はあきらめて、テールドシエルの池田社長と桒原さんに無理を言って委託しました。産地を盛り上げるためにと引き受けてくださった池田社長には今でも感謝しています」

わずかながら自身の手でも醸造に挑戦したものの「酸化してしまい、春先に国税庁の職員立ち会いのもと廃棄しました」。酒造業は国税庁の管轄下にあり、酒税法に基づいて処分の際にも届出が必要なのです。

ブドウの収量は前年の半分に落ち込み、ビン詰めされたワインのラベル貼りが間に合わず、この年は販売することができませんでした。

実務経験を積むために研修生となったワイナリーで、いきなり経営者となった織田さんにとって、試練ともいえる年でした。
 

醸造スペースは正三角形の不思議な形。特区最低限の醸造を目指し、限られた土地に合わせて最小限のスペースで設計された。織田さんは地下セラーを含めて、新たに広げる予定
 

さらにワイナリー経営を引き継いでわかったのは「想像以上に赤字だった」こと。負債はないものの構造的に赤字で、経営の正常化が必要でした。「赤字が続いて債務超過に陥ると、酒造免許が取り消しになるんです」と織田さん。ワイン特区で酒造免許が取りやすくなっている一方で、取り消されることもあるのです。

振り返れば前職での織田さんは「経営についてアドバイスや手助けはできるものの、決めるのは社長さんであって自分じゃない」ことに、もどかしさを感じていました。「それが今はすべて自分ごとです」。目下のところ目標は「自分に給料を支払うこと」。それが元経営コンサルタントとしての意地だと笑います。

経営正常化のためにすべきは「ワインの価値を高めるか、量を増やすか。僕は両方やりたいんです」。価値を高めるためにレインカットを張り、量を増やすために畑を広げ、そのために醸造所を広げる必要がある。やるべきことは山積みだと言いつつ、織田さん持ち前の楽観性ゆえ、どこか楽しそうです。


ブルゴーニュ視察から得た新たな展望

2023年、織田さんにとっての自社初醸造をむかえました。自分でできるか不安を抱えていたところ、千曲川ワインアカデミーを通じて醸造のエキスパートと出会うことができ、その人の助言を得ながら醸造を進めました。

「藤田さんのやり方を踏襲して、白は乾燥酵母、赤は野生酵母を用いました」。結果は上出来で「ピノ・ノワールはとても評判が良く、白の出来も良く、2023年のソーヴィニヨン・ブランとシャルドネは売り切れました」

「ビギナーズラックと言われましたが、確かにそうで、2023年は天候に恵まれました」。しかし、それだけではなく「前年に自分でやってみて失敗した経験があったからこそ、うまくいきました」と織田さんは言います。
 

(左から)日向山ピノ・ノワール2023、井子シャルドネ2024、清水端ソーヴィニヨン・ブラン2024
 

2025年5月。新梢が出てから、芽かきが始まるまでを見計らい、ここしかないと定めた10日間で、織田さんはフランス・ブルゴーニュへ渡りました。「藤田さんから亡くなる少し前に『ブルゴーニュへ行ってみてほしい』と言われていたんです。『自分が何を目指していたのか理解できるはずだから』と」

「ピノ・ノワールの産地で生産者の方に質問すれば、みなさん、ちゃんと答えてくださる。学びが多く、本当に行って良かったです」。何より参考になったのは「ブルゴーニュのワイナリーは地下セラーのあるところが多く、ピノ・ノワールは最低2年間、樽の中で熟成させておく」こと。
 

ワイナリー隣接の家屋2階に設けられたウッドテラスから、富士山が見えた
  

「僕も地下セラーを持ちたい」。そんな思いが織田さんの胸に宿ります。もともと新たな畑での収穫がはじまるまでに醸造スペースを広げる計画はありましたが、ブルゴーニュ視察を経て、地下セラーも含めた計画に変わりました。

「これもワインの価値を高めることにつながりますから。やりたいと思ったら、実現しないと気が済まない」

農地転用の許可を取ること、人手を増やすこと。「やるべきことがまた増えた」と言いつつ、織田さんは「新しいことを次々考えて実現していくことが一番楽しい」と語ってくれました。
 

織田 徹さん

おだ・とおる

1960年生まれ、愛知県名古屋市出身。経営コンサルタントを稼業とする傍ら、2021年に「千曲川ワインバレー」7期生として受講。藤田正人さんが立ち上げた「ドメーヌ・フジタ」の研修生となる。病臥の藤田さんに託され、逝去後の2022年にワイナリーを引き継ぐ。翌年、織田さんにとっての初醸造を迎えた。

ドメーヌ・フジタ

所在地|長野県小諸市滋野甲4162-221
連絡先|domainefujita@gmail.com
https://kaze-nukaji.com/

取材・文/塚田結子  写真/平松マキ
2026年03月12日掲載