vol.60 霧訪山シードル
徳永 博幸さん

自然栽培のりんごを
自然発酵させたシードル

vol.60 霧訪山シードル<br>徳永 博幸さん<br><br>自然栽培のりんごを<br>自然発酵させたシードル

生き方を決めたシードルとの出会い

標高500〜800メートルの高原地帯で昼夜の気温差が大きく、朝方に霧が発生しやすい場所を「霧下地帯」と呼びます。「霧下そば」が有名ですが、ここでは果樹や穀物などが良質に育ちます。8月下旬から10月上旬に発生しやすい霧が、ちょうど実りをむかえる作物を霜から守ってくれるからです。

その名のとおり山裾に霧を抱く「霧訪山」のふもと。矢沢川沿いにりんご畑が広がり、登山道へと至る道の途中に「霧訪山シードル」があります。徳永博幸さんが2018年に設立し、2019年1月に酒造免許を取得しました。

徳永さんは熊本市の出身で、武蔵野美術大学でビジュアルデザインを学び、都内のデザイン系の会社に勤めました。そして1990年、20代半ばで諏訪市に本社を置くセイコーエプソンに転職しました。

ある時、徳永さんは松本市の酒店で1本のフランス産シードルと出会います。それまで甘いイメージしかなかったシードルを口に含むと、複雑な味わいが広がりました。りんごの甘酸っぱい果実味だけでなく、種を噛んだようなほろ苦さ。それがなんとも心地良く、「これが本当のシードルか」と興味を覚えたと徳永さんは言います。

もともとりんごが好きで、農業にも興味があった徳永さんは、生食用りんごの栽培をはじてみようかと考えましたが、見た目を重視する「玉回し」など独特の工程がわずらわしく、それよりも「本場の味を追求し、自分のシードルを作ってみたい」と考えるようになります。

加工用品種は小型で果肉がかたく、生食には不向きだが、シードルに酸味や苦みなど複雑さを加える

ワイン大学と本場フランスでの学び

当時は徳永さんにとって、今後の人生について考えていた時期であり、男の子ばかり3人の手がかからなくなった頃でもありました。そしてシードルをつくることを決意し、家族の理解と会社の了承を得て、2014年に開校した「塩尻ワイン大学」の一期生となりました。

仕事の傍ら、りんごやシードルとも共通点の多いぶどう栽培とワイン醸造を4年間かけて学びました。また、松本市のりんご農家のもとで1年間、栽培技術を学び、フランスへ視察にも出かけました。

フランス北西部のノルマンディやブルターニュ地方はりんごの栽培が盛んで、ワインとは異なる独特のシードル文化が築かれています。徳永さんは伝手を頼り、2週間をかけて畑や醸造所を見学しました。

本場でのシードル作りを見学してわかったのは、そもそも原料となるりんごがちがうということ。日本では生食用に流通できないりんごが加工用に回されることがほとんどですが、フランスではシードル専用の品種が多数栽培されていたのです。

そこで徳永さんは霧訪山の麓の継ぎ手のいなくなったりんご畑を借り受けて、シードルのためのりんご栽培をはじめました。

果肉の赤いメイポールやジェネバ、黄緑色のグラニースミス、ドルゴなどのクラブアップル(姫りんご)、「ニュートンのりんご」ともいわれるフラワーオブケントなど。こうしたさまざまな品種を加えることで、甘味のほかに酸味や渋み、苦みなど、複雑な味わいを加えることができるのです。

ジェネバは紅玉よりコクがあるが酸味が強く、すっきりとした味わい。メイポールは日本ではふじの受粉樹として植えられる
小玉で果肉が赤い。酸味は強く、渋みは少ない。グラニースミスは酸味が強く、アップルパイにも使われる

野生酵母で醸した自然派シードル

畑の一角でヤマブドウの「岩松」と「小公子」、コンコードの栽培もはじめました。欧州系品種は病気に弱く、薬に頼りがちですが、ヤマブドウは日本の在来種で風土にあった作物です。

自然発酵でのシードル作りを目指す徳永さんにとって、発酵の妨げになる農薬の使用は避けたいところ。いずれも原種に近く自然栽培が可能なりんごと、寒さにも病気にも強いヤマブドウなら、一緒に栽培することが可能でした。

会社勤めをしている徳永さんに代わり、平日、畑に立つのは会社OBの先輩、山本普一さんと武田浩さんです。強力なサポーターの手を借りながら地道な草刈りや収穫をこなし、2019年に初仕込みとなりました。

「シードル用の培養酵母というのはあまりないので、多くはワイン用の酵母を使いますが、発酵力が強いのでシードルには向かないと思うんです」。そこで徳永さんは自家培養酵母を用います。手間を惜しまず丁寧に醸し、そして9月。酸化防止剤無添加、瓶内二次発酵の本格シードルが完成しました。

2019年11月9日に東京・雅叙園で行われた「塩尻グランドワインパーティ2019」では、できたてのシードル、コンコードスパークリング、梨スパークリング「ポワレ」を提供しましたが、無添加、自然発酵のシードルは、甘さの中にほろ苦さが感じられると好評を博しました。

次はもっと多くの方に飲んでいただけるように。2020年、春の訪れを待って、2年目の仕込みがはじまります。

(取材・文/塚田結子  写真/宮崎純一)

徳永 博幸

とくなが ひろゆき

1963年生まれ、熊本市出身。武蔵野美術大学でビジュアルデザインを学び、都内でデザイン系の会社に就職。1990年から諏訪市のセイコーエプソンに転職。2014年開講の「塩尻ワイン大学」で一期生として学び、2018年5月に農事組合法人を設立。2019年1月に酒造免許を取得した。

霧訪山シードル

きりとうやましーどる

所在地  塩尻市下西条洞627
MAIL  amenowa@gmail.com
URL   霧訪山シードル

2020年03月04日掲載