vol.99 たのめワイナリー
古田 学さん

自然と向き合うワインづくりは
自分と向き合い見つけた使命

vol.99 たのめワイナリー<br>古田 学さん<br><br>自然と向き合うワインづくりは<br>自分と向き合い見つけた使命

持って生まれた「自分の才能」とは

小野は、塩尻市から辰野町へ向かう国道153号線を南下して、善知鳥(うとう)峠を越えると開けてくる、霧訪山(きりとうやま )の裾野に広がる地です。善知鳥峠は信濃川と天竜川の分水嶺であり、松本平と伊那谷の境に位置します。

小野は、初期の中山道(現在の県道254号)と三州街道(伊那街道とも、現在の国道153号とほぼ同じ)が交差する宿場町として発展しました。湧水に恵まれ、地政的にも重要な地で、かつてはこの地をめぐって松本城主の石川氏と飯田城主の毛利氏が領地争いで対立し、豊臣秀吉の裁定によってふたつに分けられました。

その名残りか、小野は今でも塩尻市北小野と辰野町小野に分かれ、塩尻市にある小野神社の境内もふたつに分けられて、社叢をひとつにしながら矢彦神社の境内は辰野町の飛び地となっています。

また小野は、古くは「たのめの里」と呼ばれ、『枕草子』65段にその名が登場し、遠く都まで知られていたことがわかります。しかし歴史あるこの地も、近年は少子高齢化が進み、空き家が増えています。
 

ひとつの社叢に小野神社と矢彦神社、ふたつの社が建つ。小野神社は塩尻市に位置し、矢彦神社は辰野町の飛び地である

 
そんな小野地区に3軒目のワイナリーができました。その名も「たのめワイナリー」。この地に生まれた古田学さんが2025年10月に酒造免許を取得し、生家に隣り合う古民家の敷地内にワイナリーを建てました。

古田さんは大学を卒業後、都内のIT企業でSEとして勤務していました。10年後に独立したものの「特にSEの仕事がやりたかったわけではない」と古田さん。そして「人生をリセットして再構築するため」Uターンしてきました。

古田さんは、スティーブン・R・コヴィー著『7つの習慣』を座右の書にしつつ、古物鑑定の仕事をしながら「自分の使命」を考え続けました。使命とはつまり、才能を生かし、情熱をもって取り組み、人から求められること。果たして自分にどんな才能があるのか。「長らくそれがわからなかった」と古田さんは言います。
 

ワインづくりをはじめるまで

Uターンしてから5年の月日が経った2013年のある日、お墓の掃除をしていた古田さんは、ふと気づきます。小野には古田姓が多く、古田家の墓地には2000年分のご先祖さまのお墓があることがわかっています。才能とは、身体能力や容姿など先天的なものという一面があるのなら、先祖から受け継いだものもまた自分の才能の一部なのではないか。

「ここには田畑や山林がある。二軒の古民家がある。これまでの人生では自分にないものを求めて一生懸命がんばってきたけど、今あるものを生かせばいい。そう気づいたんです」。では、その「才能」を生かして、何を使命とするか。そこで「たまたま耳にしたワインづくりがスポンとはまりました」
 

古田家の墓地には2000年前の石塔が立つ(写真は、たのめワイナリーCAMPFIREより)

 
「それまでワインはほとんど飲んだことがなかったし、農作業は子どもの頃に親の手伝いをした程度」。それでも気づきを得た古田さんに迷いはなく、行動に移ります。塩尻市がワイン産地だということもその際に知り、知人と連れ立って近隣のワイナリーをまわってテイスティングを重ねます。

桔梗ヶ原に倣って栽培品種をメルローに定め、ぶどうの苗木を注文。2年待ちと返答があったもののキャンセルが出て、急きょ300本を入手することできました。

「霧訪山の麓の畑では、父が自家用の野菜を育てていたので、すぐに植え替えができました。苗木屋さんに植え方を聞きながら、メルローのほかにシャルドネ、ピノ・ノワール、ピノ・グリを植えました」

実地で栽培をしながら、長野県の「ワイン生産者アカデミー」を3年連続で受講し、さらに塩尻市による「塩尻ワイン大学」の2期生として、コロナ禍の休止をまたいで4年間、ぶどう栽培からワイン醸造まで学びました。いずれワイナリーを設立することは、苗木を植える前から心に決めていました。
 

完全無農薬栽培にたどり着くまで

2015年4月に植えたぶどうの木は、5月に萌芽して、1回目の防除をしました。その2〜3日後、「葉の裏に、一斉にアブラムシが出たんです」。なぜか。古物鑑定の仕事の傍ら、サプリメントの販売も手がけていた古田さんには、予防医学の知識がありました。

「無菌状態になった後、まず一番弱い菌から繁殖するんです。そして弱いものは多産です。おそらく、防除した敵のいない畑でアブラムシが一斉に繁殖したのでしょう。このままでは防除をくり返し、薬剤が手放せなくなってしまう。感覚的にですが、そう思って防除はやめることにしました」

慣行栽培から自然栽培へ切り替えて「1〜2年目はまあまあで、2年目に房がつきました。でも、だんだん病気が出るようになって、4年目でベト病に加えて黒とう病が出はじめました」。そこで5年目の2020年にボルドー液※を散布すると、効果てき面。その年に初収穫となったぶどうは、ベリービーズ・ワイナリーへ持ち込み、助言を得ながら初醸造に挑戦しました。

※ボルドー液は、硫黄銅と生石灰を水で溶いた自然由来の殺菌剤で、ベト病などカビ由来の病気を予防・防除することができ、有機栽培の果樹や野菜などに広く使用されている。
 
畑は霧訪山の麓にある。栽培品種はメルロー、シャルドネ、ピノ・ノワール、ピノ・グリ。ゆくゆくは霧訪山に自生するヤマブドウの雌雄株を植えたいとのこと
自宅庭のナイアガラが、軒下の葉は元気なことに気づき、畑に独自のレインカットを設置した

 
しかし、ボルドー液を散布後の白く染まったぶどうの様子は頭から離れず、これを是とすることができなかった古田さんは「やっぱり使うのはやめよう」と、翌年から完全無農薬に挑戦しはじめます。

「私の感覚でいうと、慣行栽培の労力を1とすれば、有機栽培は3、無農薬栽培は10。完全無農薬栽培は強烈に難しくて、手間をかける時間も必要です」

その一方で父親の介護がはじまり、なかなかぶどう栽培に手をかけられず、収穫のできない年が続きます。ワイナリー設立準備も遅れていきました。しかし、そんなままならない日々の中でも、古田さんは次の一歩を進めていました。
 

仲間とともに「たのめの里」を癒しの地に

2022年11月にクラウドファンディングでワイナリー設立のための資金を募り、目標金額を無事達成。そして2024年夏にはFacebookを通じて、ともにワイン事業や農業などに携わる仲間を募集(古田さんいわく「ゆる募」)したのです。

そして2025年10月、いよいよワイナリーが完成します。「ゆる募」に対しては10家族ほどが小野を視察に訪れ、そのうち3家族の移住が決まっていました。この年7月に父を看取っていた古田さんですが、志をともにする新たな仲間ができていたのです。

「2025年にいろんなことが動きはじめて、無農薬のぶどう栽培が間に合うようになりました。収量は100kg程度でしたが、来年は10倍を目指します」
 

左は水圧式プレス。2025年は収量が少なかったのでこれを使わず、手除梗して家庭用プレスで圧搾した
「白ワインは野生酵母でオレンジワインのように醸します。徹底的に自然派でやりたいので加温はせず、エアコンもつけません。室温は5〜10℃くらいなので発酵はなかなか進まず、2か月くらい経て、ようやく搾る予定です」。

 
「欧州系品種の無農薬栽培は難しい。レインカットはしていますが、できれば無農薬の露地栽培をしたいと思っています。それができるのは日本ではヤマブドウです」。そして古田さんは言葉を続けます。

「霧訪山に自生するヤマブドウを自然栽培できれば、地元の環境を反映した究極のキュベになります。幸い霧訪山に自生するヤマブドウの雄株はたくさん見つけました。いずれ雌株を見つけて、挿し木で増やして、畑に植えたいと考えています」

ゆくゆくはワイン事業を柱として、山林から山野草を採取する食品生産・加工業や、古民家を活用するエコビレッジ事業などを仲間とともに展開し、「『たのめの里』を癒しの地にしたい」のだと古田さんは語ってくれました。
 

ワイナリーに隣接する古民家。オフグリッドな暮らしの実戦の場にする予定

古田 学さん

ふるた・まなぶ

1971年、塩尻市出まれ。都内のIT企業を退職し、SEや古物鑑定の仕事を経て2009年にUターン。先祖代々受け継ぐ古民家、田畑や山林を生かすためワイン事業を生業とすることを決意し、2015年に自家畑にワイン用ぶどうの苗木を植樹。2025年にワイナリー設立。完全無農薬の自然派ワインづくりを目指す。

たのめワイナリー

住所|長野県塩尻市北小野69-1
 Facebook|https://www.facebook.com/Tanomewine/
Instagram|https://www.instagram.com/tanome.wine/

取材・文/塚田結子  写真/平松マキ
2026年01月21日掲載