Vol.89 アクアテラソル馨光庵
平井祐一朗さん、中田庸介さん

ワインが香る銘醸地へ
100年後にも継ぐために

Vol.89 アクアテラソル馨光庵<br>平井祐一朗さん、中田庸介さん<br><br>ワインが香る銘醸地へ<br>100年後にも継ぐために

伝統的工法の木組みで
建てられたワイナリー

「アクアテラソル馨光庵」は、2023年9月に東御市鞍掛に完成したワイナリーです。住所を頼りに訪ねると、案内板や看板は見あたらず。古くからの集落に建つ平屋の建物は、新築ながらすっかり周囲の景観になじんでいました。

出迎えてくれたオーナーの平井祐一朗さんと醸造責任者の中田庸介さんは「わかりづらかったでしょう」とねぎらいの言葉を発しつつ、「ワイナリーを建てるにあたっては、建物が周囲に溶け込むことが必須だったので、これでいいんです」と言ってのけます。

下見板張や土壁など面によって表情の変わる壁と、美しい瓦葺き屋根の建物は、日本古来の伝統的な工法で建てられています。手がけたのは宮城県名取市で大工店「馨香庵(けいこうあん)」を営む大工棟梁の千葉隆平さん。古材も含め、墨付け・刻み、穴掘り・ほぞ取りをした材を運び込み、釘を極力使わずに組み上げました。

お気づきと思いますが「馨光庵」という名前は、千葉さんの屋号に倣ったもの。千葉さんへの敬意と、ワインの良い「馨(かおり)」が漂う場所になるようにとの思いを込めています。そして「アクアテラソル」は、アクア(水)・テラ(大地)・ソル(太陽)というラテン語を組み合わせています。

茅葺き屋根の東屋はもともとこの土地にあったもの。敷地内には6〜7世紀の古墳もある

ワイナリー建設にあたって、「カーヴハタノ」の波田野信孝さんが古くからの知り合いである千葉さんを平井さんに紹介しました。波田野さんはアクアテラソルのアドバイザーであり、平井さんにとってはワインづくりの師匠のような存在。そして中田さんにとっては元職場の先輩です。

千葉さんが木組みでつくり上げた建物は、土と木など自然に還る材を用い、出入り口の扉には古い建具が再利用されています。手斧(ちょうな)の痕が残る太い梁があらわになった小屋組を支え、土壁には大きな窓が穿たれて、遠くアルプスの山並みまで見渡せます。

「ここはワイン農家が集まって、なんでも話し合える場にしたいと思っています」と平井さん。簡単なキッチンを整えて、もっと居心地良くする予定。

近所のおじいちゃんが「いつワイン買えるんだい」と訪ねてきてくれ、「まだ仕込んだばっかりだよ」と応えながら、「そうやって地域に密着して、まわりの方に自分たちのワインを飲んでもらえたらうれしいです」と平井さんは言います。

下見板張の壁に無双窓が取りつけてある
無双とは裏表同じこしらえのこと。連子をずらすと換気できる仕組み
土壁を大きく穿ち、はめ殺しの窓とした
木の湾曲をそのまま利用した曲がり梁が屋根を支え、壁の景色をつくる

つくりたいのは、果実味豊かなロゼと
アロマティックな白ワイン

平井さんは東京で営んでいた司法書士事務所を後進にゆずり、2018(平成)年、52歳のときに長野県へ移住。千曲川ワインアカデミーの5期生としてワインづくりを学び、同時に信州うえだファームで農業研修を受けて、2年後に新規就農しました。

ワイン用ぶどうの畑は上田・東御・御代田の3箇所に合わせて1ヘクタールあり、2023(令和5)年に初収穫をむかえました。合わせてワイナリーが完成し、醸造免許を取得し、初醸造となりました。ファーストヴィンテージのリリースは、翌夏を予定しています。

平井さんが目指すのは「南仏のロゼのようなワイン。ドライで果実味があって、とてもおいしいんです」。そのために南仏の5大品種といわれるシラー、ムールヴェードル、グルナッシュ、カリニャン、サンソーの苗木を日本中からかき集めました。

「イタリアの白ぶどう品種であるヴェルメンティーノを輸入して、去年植えました。このへんでは誰もやったことがないので、育つかどうかわかりませんが、今は冒険をしているところ。土地に合う品種は絶対必要ですが、何が合うかは100年後の人に聞いてもらえばいいかなとは思っています」

醸造棟は衛生面と作業性を考慮し、すっきり整然とした造り。梁に埃がたまらぬように天井板で覆った

「長野へは、ワインをやるために来たんです」と言う平井さんは根っからのワインラバー。ワイナリーを設立することは移住当初からの予定どおりだったのに対し、中田さんは「僕はもともと農家になりたくて長野に来ました」。

中田さんの実家は東京・葛飾で祖父の代まで農業を営んでいました。大学卒業後、2012(平成24)年にヴィラデストワイナリーに入社。先輩である波田野さんのもとで、ぶどう栽培とワイン醸造に携わりました。波田野さんが独立し、やがて中田さんも波田野さんと同じように栽培・醸造主任を勤めました。

そして2019(令和元)年に独立。妻の由真さんとともに「なかだ農醸」として季節の野菜やワイン用ぶどうを栽培し、カーヴハタノに委託醸造して「NAKADA WINES」として販売しています。

中田さんが栽培するのはシャルドネやソーヴィニヨン・ブランのほか、ピノ・ノワール、ピノ・グリ、リースリング、ゲヴュルツトラミネールなど、フランス・アルザス地方でよく育つアロマティック品種と呼ばれる香り際立つぶどうです。

「自分でワイナリーを建てたいとは思わなかったけれど、ワインに関わる以上はおいしいものをつくりたいという思いはありました」。そんな中田さんは、波田野さんから平井さんのワイナリー設立を聞き、さらに「お前が醸造長をやれ」と言われ、「いい話だなあと思い、お世話になることにしました」

「サニテーションは、かなり厳しめ」と言うとおり、ワイパーやホースなどは浮かせて収納している
野菜とぶどうを育て、醸造をして、ぶどう棚や垣根の施工もできる。中田さんはなんでもできる人
プロデューサー気質の平井さん。「いつか心が弾むようなボトルのワインもつくりたい」
醸造棟の一部はカーテンで仕切り、空調管理で低温あるいは加温での発酵が可能にしてある

ここは礎であり
はじまりに過ぎない

「波田野さんと中田は、職人なんですよ。せっかくワインをやるなら僕も職人でありたいんですが、プロデューサーの方が得意なんだろうなと自分で思っています。だからふたりには憧れるし、尊敬もしています」と平井さん。

平井さんにとって波田野さんは「この界隈で一番尊敬する人」。その一番弟子ともいえる中田さんへの信頼も厚く、「ワインづくりに関して5年間は口応えしない」と決め、「習うより慣れよ」と、まずはワインづくりのひととおりを自身に叩き込んでいます。

「初収穫、初醸造をした去年は本当に大変でした。こんなに大変だと思わなかった」と平井さん。「東京では部下が二十数人いて、会社を切り盛りしていた自分が、何もできない。人間が変わりますよ」

実際に、かつての職場仲間から「変わったね」と言われただけでなく、平井さんの考え方も変化しているといいます。「すごいワインを作ってやるぜと意気込んで東京から来たんですが、10年、20年でできるものではないぞと思うようになりました」

木と土でできた建物に、古い建具がしっくり馴染む。梁には手斧(ちょうな)で削り出した痕が見える
貯蔵棟は漆喰壁で仕上げ、「小屋組を見せたい」と全方位を照らす吊り下げ照明を選んだ(波田野さんが)

このワイナリーが経年変化を重ねて、いつか古民家となる頃。ぶどうも樹齢を重ね、より豊かな実りをもたらしてくれるでしょう。「中田の世代や、さらにその下の子どもたちの世代が、世界に名を轟かせるようなワインをつくってくれたら」

「私は子どもがいないんですが、若い人は宝ですよ」。だからこそ「ここはその礎であり、自分は初代オーナーに過ぎない」。そう思うのだと、平井さんは教えてくれました。

NAKADA WINESの「note」とシャルドネ。2023VTからは自分のぶどうを委託して自分で醸造している
平井さんのワインは静かに熟成中。ファーストヴィンテージは夏前のリリース予定

平井祐一朗さん

ひらいゆういちろうさん

1966年生まれ、東京都出身。司法書士事務所を後進にゆずり、52歳でIターン。千曲川ワインアカデミー5期生としてワインづくりを学びつつ、信州うえだファームにて2年間、農業研修生として学んだ後、ワイン用ぶどうの栽培を開始。2023(令和5)年、ワイナリーを設立した。

中田庸介さん

なかだようすけさん

1989年生まれ、東京都出身。祖父の代まで続いた農家に生まれる。2012(平成24)年に東御市へ移住。ヴィラデストワイナリーでぶどう栽培とワイン醸造に携わる。2019(令和元)年に独立。念願の野菜農家となり、ワイン用ぶどうも手がける。アクアテラソルの醸造責任者。

AQUA TERRA SOL 馨光庵

アクアテラソルけいこうあん

所在地|長野県東御市鞍掛1094-1

Mail|raulyh@aquaterrasol.net

URL|https://aquaterrasol.net/

取材・文/塚田結子 写真/平松マキ
2024年02月15日掲載