vol.82 南向醸造
曽我暢有さん

農夫が醸す、気負わないワインづくり

vol.82 南向醸造<br>曽我暢有さん<br><br>農夫が醸す、気負わないワインづくり

中川村に適したぶどう品種を探して

2021年6月、曽我暢有(そが・のぶあり)さんが中川村にワイナリーを開設しました。風土と自身の思想を反映したナチュラルなワイン造りを信条としている、山梨県のドメーヌ・オヤマダの小山田幸紀さんに師事を仰ぎ、「新世代のヴィニュロン」のひとりとして雑誌で特集されたこともある注目の若手醸造家です。

同年、キノコ工場を改装したワイナリーで醸造した初ヴィンテージのワインは、首都圏や名古屋などの飲食店や酒販店からの予約で完売に。
「ワインが売れたのはとてもうれしかったのですが、地元で愛されるワイナリーを目指しているので、地元の酒屋さんでも買えるように収量を増やしていきたいです」

2013年からワイン用ぶどうの栽培をはじめ、少しずつ増やした圃場は現在3ヘクタールあり、標高600m700mに点在しています。南信州ではワイン用ぶどうの栽培の前例が少ないこともあり、適性品種を見極めるためにシャルドネ、サヴァニャン、プティマンサン、ガメイ、シラー、カベルネ・フラン、メルロ、ムールヴェードルなどを栽培しています。

ドメーヌ・オヤマダで学んだことをもとに、さまざまな品種やクローン違いのぶどうを混植。同じ畑に赤品と白品種の列が交互に並ぶように植栽しました。
「9年間、栽培するなかで少しずつ適正品種がわかってきました。とくに白品種はサヴァニャンが一番、調子がいいです。小粒で皮が厚く、病気に強い。生育が素直でしっかり熟すので、この地に適しているかもしれません」と期待を寄せます。

なるべく減農薬で栽培したいと、ボルドー液を使った畑とコンポストティー(植物性堆肥の抽出液)のみを使った畑に分けて比べてみましたが、やはりボルドー液を使わないと健全なぶどうの収穫は現状では難しいことがわかりました。

畑ごとにも環境が違い、なかには毎年春先になると、せっかく出てきた芽を食べ尽くす虫がいる畑も。我慢できる虫がほとんどですが、致命的な虫も数種類います。栽培を始めてから8年間、手で捕殺するのはもちろんのこと、すべての株元に粘着テープを巻くなどのトラップを設置したり、虫を炒めてその灰を撒くなどフランスのビオディナミ生産者に勧められた方法を試したり、あらゆることを考えて対処しましたが、どれも決定的な対策にはなりませんでした。

有機栽培に強いこだわりはありましたが、
悩み抜いた末に今春は殺虫剤を使用することに。曽我さんは「殺虫剤を使用することが良いのか悪いのか、考え方はさまざまですが、結果として昨年の2倍以上の収穫を得ることができました」と胸をなでおろしています。

観察と実験を繰り返し、一つひとつの畑と対話しながら丁寧に栽培したぶどうを、現在は赤品種と白品種に分けて畑ごとに混醸した後に、赤は赤、白は白でアッサンブラージュしています。自分ができる範囲の限界まで、畑の可能性を引き出せるワインづくりをしたいと考えています。
「自分のエゴが溶けてなくなり、ぶどうと畑何が最善なのかを優先して、頭ではなく身体全体の感覚でワインを造ることができるようになりたいです」

急斜面で水はけの良い畑。品種やクローン違いのぶどうを赤品種と白品種に分けて1列ごと交互に混植しています
急斜面なので、すべてが手作業。「その畑に合わせて、できることをやろう」と樹間を狭くすることで樹勢をおさえ、樹高を低くして作業効率が上がるようにしました」

スタッフの北澤陽平さん(左)は、20代の頃にドメーヌ・オヤマダで知り合った仲間。当時、大学生だった北澤さんも自身の地元、伊那市でのワイナリー開設を念頭に、ワイン用ぶどうを栽培しています

ワインを教えてもらう条件は3つ。
「一生懸命ワインを造る、味に見合わない値段をつけない、家畜を飼う」

曽我さんは中川村の出身で、進学を機に上京。卒業後は東京で音楽活動をしていましたが、両親が農業に携わっていたこともあり、地元に戻って農業をやろうと一念発起します。

はじめはシャインマスカットなど生食用のぶどうや、りんごなどを栽培していましたが、近所に住むチェコ出身の薪ストーブ職人、イエルカ・ワインさんに「ぶどうを作っているならワインも造ったら」と、すすめられ、さまざまなワインを飲ませてもらううちに、ワイン造りに興味を持つようになりました。

そして、イエルカさんが通う名古屋のナチュラル・ワイン・ショップ「SAOULRAILS(スールライユ)」の與語篤志(よご・あつし)さんとも仲良くなり、與語さんと一緒にドメーヌ・オヤマダを訪れたことをきっかけにワインの道へと進みました。

ドメーヌ・オヤマダの小山田さんは「ぶどうのポテンシャルを追求し、いたずらにワインを汚さない」という信念のもと、健全なぶどうを育て、野生酵母でワインを醸す醸造家です。
家畜を飼い、自分たちが食べる米や野菜を育て「暮らしのなかに息づく農民芸術のひとつとして、風土を表現するワイン造りがある」と考え、実践している小山田さんのライフスタイルに憧れて、何度も通ううちに研修をさせてもらえることになりました。

「ワインを教えもらうためには3つ条件があって、それが、一生懸命ワインを造ること、味に見合わない値段をつけないこと、家畜を飼うことでした」と、曽我さんは楽しそうに振り返ります。1年間は通年でアルバイト、その後は中川村でワイン用ぶどうを栽培しながら、収穫や仕込みのたびにワイナリーへ車で2時間かけて通い、9年間学びました。その交流は今も続いています。

キノコ工場を改装したワイナリー。断熱性が高く、夏は涼しく、冬は暖かい。適度な湿度もありワインの熟成に良い環境
小山田さんからワインを教えてもらう条件のひとつが家畜を飼うこと。名古屋コーチンとアローカナと、アローカナプラスという品種の鶏を全部で6羽飼っています。2羽の名古屋コーチンには「おじょう」と「まきちゃん」という名前をつけました
茶色の卵は名古屋コーチン、白い卵はアローカナ。目玉焼きにしたり、卵焼きにしたりして家族でおいしくいただきます

大切に育てたぶどうは、なるべく足さずにシンプルに。ワインを汚さず造る

ワインは野生酵母で醸造、亜硫酸も添加しないので温度管理が重要です。ステンレスタンクはすべて温度管理できるジャケットタイプ、樽の置いてある部屋は15℃、製品庫は18℃に設定、チラー(ステンレスタンクに接続して、タンク表面に冷水や温水を循環させて冷やしたり温めたりする機械)は小さいものが2台というように、温度帯を選べるようにして管理しています。温度帯の選択肢を増やすことで、さまざまな醸造方法を選ぶことができるのです。

ドメーヌ・オヤマダに委託していた頃から、赤は手除梗して粒のまま発酵させていますが、はじめに少しつぶした後、粒を残した状態で発酵させたり、粒のままスタートさせて段階を追って徐々につぶしたり、毎年いろいろな方法を試しています。白ワインは、完熟したぶどうを収穫することを大切にしています。たとえば完熟を待つあまり、ぶどうの酸度が低下してしまう年があったとしても、熟度を優先するようにしています。

大切なのは、ぶどうを健康な状態で完熟させること。醸造の選択肢はいくつか用意しますが、ぶどうが良ければシンプルに「なるべくテクニックを必要としない方法で、ワインを汚さずに造りたい」と曽我さんは語ります。

仲間とともに切磋琢磨しながら、新しいことにもチャレンジしたい

ドメーヌ・オヤマダで委託醸造をしていたときに、小山田さんに醸造方法を自由に選ばせてもらったことがとても勉強になりました。南向醸造もそういう場でありたいと、委託醸造も受けています。
「みんなでやればデータも集まるし、仕込みのアイデアも共有できます。ヴィンヤード(ワイン用ぶどう栽培者)さんはワイナリー開設を見据えて栽培されている方が多いので、実験場として使ってもらえればうれしいです」

「中川村周辺にも僕と同じような考えをもつヴィンヤードや、米作り・野菜作りをする農家さん、飲食店さんがいます。みんなで協力して、何かおもしろいことができたら」
曽我さんはまだ30代半ば。自分のペースで着実に前進する、頼もしい新世代のヴィニュロンです。

今は収量が少ないこともあり、赤品種と白品種に分けて畑ごとに混醸したのちに、赤は赤、白は白でそれぞれアッサンブラージュして赤ワインと白ワインを造っています。「畑ごとに収量が確保され、それぞれ特徴のあるぶどうが収穫できたら別々にリリースもしてみたいです」

委託醸造も受けているので、保管庫にはたくさんの樽が並びます
ワイナリー横の、のどかな畦道。田んぼでは村内の酒蔵で使われる酒米が栽培されています
自身のぶどう畑がモチーフのラベル。人気があり、本数も少ないので入手困難。ワインをもう少し熟成させたいため、2022年のリリースは未定です
取材・文/坂田雅美  写真/平松マキ

曽我暢有さん

そがのぶあり

1986年生まれ。小学生の時に両親とともに中川村へ移住。妻の晴菜さん、息子の優斗くんの3人家族。ドメーヌ・オヤマダの小山田幸紀さんのもとで研鑽を積み、フランスのジュラ地方でも研修を受ける。2013年、中川村にシャルドネを植栽。初ヴィンテージは2018年(ドメーヌ・オヤマダに委託醸造)。2021年自社ワイナリー開設。自社の初ヴィンテージは2021年。

南向醸造

みなかたじょうぞう

所在地 〒399-3803 長野県上伊那郡中川村葛島2543
スタッフが少ないため、ワイナリー見学は受け付けていません
※連絡先はワイナリーの 意向で非掲載 

 
2022年12月05日掲載