vol.45 KODAMATEI|児玉邸
児玉 俊一さん

シルクからワインへ
旧家を守るため、ワイン造りを生業に

vol.45 KODAMATEI|児玉邸<br>児玉 俊一さん<br><br>シルクからワインへ<br>旧家を守るため、ワイン造りを生業に

横浜から移住して
千曲川ワインアカデミー第1期生

児玉俊一さんは定年後に横浜から東御市へ移住し、第1期生として千曲川ワインアカデミーを修了しました。奥様の恵仁(えに)さんとともに、ワインぶどうを栽培し、アルカンヴィーニュに委託醸造。2017年12月には、念願のファーストヴィンテージをリリースしました。
さぞやワインへの思いが強いのかとうかがうと「家を守りたくて、ワイン造りを始めたんです」

じつは、児玉さんのお宅は、児玉家住宅(児玉邸)という国の登録有形文化財。ご自身はここで育ったわけではありませんが、お父様の生まれ育った実家です。学校の休みのたびに祖母の住むこの家に帰り「お前は長男だから、ここに帰ってきて家を守るんだぞ」と言い聞かされてきたのだとか。お父様も自分もサラリーマンとして県外に住み、転勤も経験してきましたが、最後に帰るべき家は、故郷の実家と心のどこかに刻んできました。

堂々たる表門の前には、東御市教育委員会による「児玉家住宅」という説明板が設置されています。それによれば、児玉家はこの地に古くから住み、明治時代初期からは味噌・醤油の醸造業を営んでいたとあります。明治26年から43年にかけて、母屋や土蔵、蚕室、馬屋、表門、東門、西門、石垣などが作られています。

児玉さんの案内を受けて、邸内のいくつもの建物を巡れば、日本の伝統的な暮らしの感触が立ち現われるよう。ぜひ、レジェンドとして後世に遺していただきたいと誰もが思います。そうはいっても、大規模な古民家の維持には相当の資金が必要で、たとえば瓦の葺き替えだけでも2000万円の見積もり…。

児玉邸は松代・祢津往還道に面し、畑や竹林を含めた敷地は2000坪。900坪の宅地に12棟の建物がある
石垣の上になまこ壁の土蔵は2階建てで、土壁と共に城郭のような趣がある

「蚕室をワイナリーにすると、
 面白いんじゃない?」

家を守るためにはどうしたらいいかと考えあぐねていたところに、たまたま、玉村豊男(ヴィラデストオーナー、千曲川ワインアカデミー代表)夫妻が遊びに来て、奥様の抄恵子さんが「蚕室をワイナリーにすると、フランスの古いワイナリーみたいで面白いんじゃない?」。この言葉に触発されて、ワイン造りへの道を歩み始めます。

週末農業でメルローの苗木を植え始め、2014年には住まいもこちらに移しました。なにしろ先祖伝来の土地持ちなので、まとまった形でワインぶどう栽培に適した日当たりのよい土地を所有しています。児玉邸の後ろに見える児玉山を含め、いずれ、あたり一帯がぶどう畑で埋め尽くされる景観も夢ではありません。

明治初期から大正末期、日本の代表的な輸出産品は絹でした。特に長野県は養蚕・製糸業が盛んになり、農家はこぞって母屋の2階で蚕を飼いました。児玉家では別棟を建てて大きな蚕室を構え、周囲の畑に桑を植えて養蚕に励みました。今も当時の蚕室が遺されているのは大変貴重です。
今、NAGANO WINEのぶどう畑は、かつて養蚕のための桑畑だったところが多いのをご存知でしょうか。児玉邸のワインは、まさにシルクからワインへの歴史を物語るものになります。

初リリース500本は児玉邸の奥深く、4代前にこの家を建てた当主の寝室だった部屋に保管されています。屋久杉の一枚板を扉にした堅牢で、外気の温度の影響を受けにくい場所です。養蚕で富を築いたご先祖様もまさかセラーに使われるとは想像できなかったでしょう。

屋号紋をワインのエチケットに採用

ドイツから帰国する次男家族と共に
4世代で未来を育む

「玉村さんには、ワインぶどうは週末農業でも作れるし、冬場はお休みだよなんて、言われたんですよ」と苦笑する児玉さん。もちろん、間もなく農業の大変さを知ることになります。

とくに初収穫の2016年は長雨の影響で病果が多く、収穫自体も1日で終わる予定が2日掛かりでした。収穫後には徹夜で、奥様とお母様がひとつひとつ手作業で病果を取り除きました。その甲斐あって、初リリースの「児玉邸メルロー2016」はおいしいと評判。2018年2月に帝国ホテルで開催されたNAGANO WINE FESに出店し、多くの人に試飲してもらう機会になりました。

2018年秋、児玉邸には、ドイツから次男の寧(ねい)さんが帰ってきます。大道芸を生業とし、ドイツ人の奥様との間に2人の娘さんがいます。
「しっかり次男家族が食べていけて、この家を守ってほしい。そのためのワイン造りなんです。僕たちは苦労を見せるのではなくて、ワイン造りの楽しさを伝えていきたい」
児玉さんは気負うことなく、そう話します。ワイナリーはいずれ作りたいが、将来像は若い世代の意思を尊重したいとも。

95歳のお父様、90歳のお母さまとともに、3組の夫婦で、国際的な4世代同居が始まる児玉家。これからどんなワインが生まれてくるのか、豪壮な古民家がどのような形に活用されていくのか、興味が尽きません。

児玉家の屋号紋が染め抜かれた法被が残る
味噌・醤油の醸造に加え、養蚕で富を築いた児玉家。往時の長野県資産家の一覧に児玉家の名が記されている
(取材・文/平尾朋子 写真/宮崎純一)

児玉 俊一

こだま しゅんいち

1951年、東御市出身。教育研修サービスの仕事を定年退職後、2014年に横浜から本籍地の東御市へ移住。それ以前から、玉村豊男夫妻の勧めもあって、ワインぶどうの栽培を始める。
2016年、千曲川ワインアカデミーを第1期生として修了。家庭内では料理を担当して、移住・同居・ワインづくりを支えてくれる妻の恵仁さんに応えている。

KODAMATEI(児玉邸)

こだまてい

所在地 長野県東御市和7785(ワイナリーはまだありません)
TEL 0268-62-0393

2018年02月27日掲載