ワインのつくり手を訪ねて

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塩尻市vol.28 VOTANO WINE坪田 満博

洗馬の地でミネラル豊富なワインをつくる

ワインの王様「バローロ」
そしてココファームとの出会い

東京の設計事務所に勤め、建築計画のコンサルタントとして数々の物件を手がけていた坪田満博さんが「バローロ」を飲み、ワインのおいしさに目覚めたのが39歳の頃。「それ以前はワインが特別好きだったわけではなく、アルコールならなんでもいいという飲み手のひとりでした」

バローロは、イタリア北部ピエモンテ州にあるバローロ村を中心とする指定地区で育てられたネッビオーロ種のみでつくられ、「ワインの王様」とも評されるイタリア赤ワインの最高峰です。「非常に衝撃を受けました。それくらいおいしかった。その後いろんなワインを飲んだけど、かみさんと『あの方がおいしいね』って、ひとつの基準になりました」

やがて坪田さんのなかに、ワインのつくり手になりたいという思いが強くなっていきます。「本当は50歳ではじめたかったけど、まだ娘が大学生だったので、かみさんに反対されました」。やがて4人の子ども全員が社会人となった頃。当時、さいたま市に住んでいた坪田さんは、栃木県足利市にあるココファーム・ワイナリーを訪れます。

ココファームは、1950年代に特殊学級に通う中学生とその担任教師により、山の急斜面に開墾されたぶどう畑を前身とします。1980年には知的障害者入所更生施設「こころみ学園」の園生の自立を目的にワイナリーが設けられます。醸造責任者として招かれたブルース・ガットラブ氏と、栽培責任者であった曽我貴彦氏の働きもあって、当時すでに上質なワインがつくられるようになっていました。

「その時に申し込んだワイナリー案内が、大雪の都合で他の方がみんなキャンセルして、私たち夫婦だけになった。案内してくれた方と話が興じちゃって、いろいろテイスティングさせてもらいました。そのうちのオークバレルの赤ってのが、すごくおいしかった。2000円くらいでこんなワインがあるのかと驚きました」

坪田家のキッチンから見える小室山をラベルにあしらった。絵は坪田さんの手描き

坪田家のキッチンから見える小室山をラベルにあしらった。絵は坪田さんの手描き

ラベルにある「洗馬-K4」の意味は「小室山のKと、ヒマラヤで一番好きなK2にあやかって、でも『3』じゃおこがましいんで、少し下がって『K4』にしました。ローカル向きには、地元の上組区(かみくみく)四常会に文字ってます(笑)」

ラベルにある「洗馬-K4」の意味は「小室山のKと、ヒマラヤで一番好きなK2にあやかって、でも『3』じゃおこがましいんで、少し下がって『K4』にしました。ローカル向きには、地元の上組区(かみくみく)四常会に文字ってます(笑)」

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貯蔵庫ではメルロやカベルネ・フランが熟成中。「どっちかっていうと樽の匂いがつかないのをやりたいんで、2、3回使った樽を輸入しています」

貯蔵庫ではメルロやカベルネ・フランが熟成中。「どっちかっていうと樽の匂いがつかないのをやりたいんで、2、3回使った樽を輸入しています」

建物は、設計事務所に勤めていた坪田さん自身が手がけた

建物は、設計事務所に勤めていた坪田さん自身が手がけた

ワインのおいしさは
ミネラル分ではないか

あちこちのワイナリーを訪ねていた坪田さんは「勉強するならここだ」と決断、2週間後に再びココファームを訪ねます。しかし「『今の仕事の方がずっといいですよ』と、2回断られました」。3回目に訪ねた時、ようやくブルース氏と会うことが叶います。

「ブルースには『まあ、いいか』と言ってもらえたけど、経営者の方に『ワインづくりとは』と聞かれ、ゴタクを並べようとしたら『草刈とタンクの洗浄ですよ』と言われた。本当にその通りです」と坪田さんは笑います。

住み込みで無報酬、代わりに質問したことにはなんでも答えてもらう、そんな条件でワインづくりを学ぶことの許可を得て、まずはクルマの免許を取り、あわせて設計事務所を退職します。当時53歳でした。

「こころみ学園の生徒さんたちと1年間寝食ともにしました。醸造はブルースに、栽培は曽我さんに全部教わった。ふたりが私の師匠です。まわりは年下だらけでしたが、そんなことはまったく気になりませんでした。新しいことを教わって、どんどん覚えていくことが楽しかった」と坪田さんは言います。

ココファームで毎週行われていた「金曜テイスティング」でいろんなワインを飲むうちに「ワインのおいしさはミネラル分ではないか」と思うに至った坪田さんは、自分のワインをつくるべき土地を求め、地質図を取り寄せます。そしてミネラル分の豊富な土壌、すなわち「昔、海だったところが褶曲(しゅうきょく)して台地になったところ」をさがします。

「ヨーロッパはほとんどがそんなところなんだけど、日本はピンポイントにしかない。わざわざ行ってみたらとんでもない山の中だったり、行政の施設が建っていて畑にできるようなところじゃなかったり」。やがて行き着いたのが、奈良井川の河川敷にある現在の畑でした。

ジュラ紀地層から川が流れ込む
石だらけの畑

「この畑が特別そういう地質だというわけではなくて、川の流れ出る木曽や飛騨の山がジュラ紀地層なんです。そこからたっぷり運ばれてきたミネラル分が、ちょうど川がS字カーブになって堆積しているところです」。そしてココファームでの研修を終えた2002年に塩尻に移り住み、畑づくりに取り組みます。

土を掘ればすぐ砂利の出てくるような土地は、地元の人が「石間(いしま)」と呼び、長年、耕作放棄してきたような場所でした。黙々と開墾する坪田さんの姿を見て「うちもやってくれ」とまわりの地主さんからも声がかかり、やがて広げた畑が今では1.2ヘクタールほど。もう少し広げたいが、ひとりですべてをやるのは2ヘクタールが限界だと坪田さんは感じています。

次々と定植した苗木はシャルドネ、甲斐ブラン、ケルナー、ソーヴィニヨン・ブラン、カベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・フラン、ピノ・ノワール、メルロー、シラーなど多岐にわたります。もちろんネッビオーロも知人から特別に苗木を分けてもらいました。「一生懸命増やそうとしてるんだけど、なかなか気まぐれなんですよね。せっかく愛情を注いでいるのに」

2007年には委託醸造してつくったワインを販売開始、12年には念願のワイナリーが完成し、ワイン醸造を開始しました。「醸造ももちろん楽しいんですが、毎日畑に出られないのがさびしい。できるなら毎日1本1本の表情を見たいわけですよ」。ぶどうを育てることは、まるで子育てのようだと坪田さんは言います。

「この畑でなら自分が思うようなワインができるんじゃないかなと思っています。それもまだ予測ですよ。でも、畑とぶどうの木と私と、三位一体になれば結構いいワインができるんじゃないかな。死ぬまでに自分で植えたネッビオーロの満足いくのが飲めればいいなと思っています」

 

(取材・文/塚田結子  写真/平松マキ)

春先は枝が折れてしまうほどの強風が吹き抜ける

春先は枝が折れてしまうほどの強風が吹き抜ける

坪田さんが立つのはカーテン仕立てのメルロの畑。「上へと伸びたがる枝を下に向けるとストレスがかかって成長が抑えられるんです。肥料はあげないし、草の下は砂利。だから12年でまだこんな細さ」

坪田さんが立つのはカーテン仕立てのメルロの畑。「上へと伸びたがる枝を下に向けるとストレスがかかって成長が抑えられるんです。肥料はあげないし、草の下は砂利。だから12年でまだこんな細さ」

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坪田 満博(つぼた みつひろ)

1948(昭和23)年生まれ、神奈川県出身。53歳で建築設計事務所を辞め、ココファームにて栽培、醸造を学ぶ。2002年に塩尻へ移住、ぶどう栽培をはじめる。2007年から委託醸造にて自ブランドのワインを販売、2012年にワイナリーを設立。

VOTANO WINE(ヴォータノワイン)

所在地 長野県塩尻市宗賀洗馬2660-1
TEL 0263-54-3723

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